医学部には学閥というものがあります、あるらしいです。
普段いち病院の臨床医として働いているそんなものは微塵も感じないのですが、格付けが好きな人はいますからね。
その辺りを中心に見ていきましょう。
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学閥とは有力大学による弱小大学の支配である
学閥には、組織の長の出身学校によって規定される場合や、長年の慣例から強化・維持されている場合などがある。
学閥に係わるのは、必ずしも伝統校や学力上位校に限らず、ある地域や職種において影響力が強い学校であることもある。
学閥の勢力が強まり、周囲への支配色を持つまでになると「学閥支配」といった言い方がされることもある。学閥を構成しているのは主に名門大学(大学院)だが、地方を中心に名門高校出身者の学閥がある。
これは学閥の一般的な記述です。医学部での例を挙げてみると下記のような感じになるかと思います。
隣り合うA大学とB大学があったとして、あまりにもA大学の方が臨床・研究・人員共にB大学を上回っている場合、B大学の人事はA大学の影響を受けることになります。
たとえばB大学の教授はほとんどがA大学の出身者で占められ、さらに次期B大学の教授を決定する際にも、A大学出身者を教授にしようとして、いろんな力が働く可能性があります。
また、A大学、B大学の地域の大きな病院の診療科はA大学医局が支配し、B大学医局は地方の小さな病院しか関連病院がない、といったこともよくあります。
ここで例に出しているA大学とB大学は、いくらでも読み替えることができます。
東京大学と首都圏の私立大学、名古屋大学と愛知県の私立大学、京都大学と関西の私立大学・・・・といった具合です。
このような学閥は、どのようにして規定されいてるのでしょうか。
医学部における学閥の決まり方
最も古い歴史があるのは、旧帝国大学7大学だ。医学部の設立は、1877年の東京大学を皮切りに、京都、九州、東北、北海道、大阪、名古屋と続いた。
(略)
医専をルーツとし、旧帝大に次ぐ伝統を誇るのが旧制医科大学のグループだ。
「旧六医大(旧六)」と呼ばれる千葉、新潟、金沢、岡山、長崎、熊本の各国立大学に、公立の京都府立医科大学を加えた7校がある。いずれも1921年前後に医科大学に昇格。当初は教授の多くが旧帝大出身者で占められたが、次第に自校出身者が増え、他大学にも教授を送り出すようになった。
AERA.dot 2016.10.2
上の記事にもあるように、学閥の頂点にあるのは間違いないく東大・京大をはじめとして旧帝国大学です。2番手グループには、千葉、新潟、金沢などが位置しています。
旧帝国大学は、基本的にはその地域にある医学部の親分であり、その地域にある医学部に教授を送り込んだりしています。
したがって、これを図にすると以下のような感じになります

首都圏の大学は基本的には東大・慶応を中心として学閥が形成されており、あまり研究などが盛んでない私立大学の医学部教授ポストなどは、東大や慶応の医局出身者が就任することが多々あります。
関西圏では、特に京都大学を中心として学閥が形成されており、関西の私立大学や周辺の国公立大学の医学部教授ポストは、主として京大や阪大の医局出身者によって占められることになります。
その他、九州大学や東北大学は周囲に有力大学がないですから、九州は九州大学、東北は東北大学が比較的強い学閥を形成している印象です。
時折みられるのは、東大の医局出身者が首都圏の大学の医学部教授になり、東大の教授ポストが空席になった時点で教授選に出馬、見事当選し東大の教授に就任するものです。
この場合、首都圏の大学にとってみれば、自分の大学医学部の教授ポストが東大教授になるまでの腰掛けにされたわけですから、こればかりは学閥支配と言われてもしかたない一面もあります。
これは東大に限った話ではなくて、いろいろな地域の旧帝国大学で聞く話です。
旧帝国大学、慶応大学以外では学閥はあまりはっきりしない
AERAの記事の中では、千葉、新潟、金沢、岡山、長崎、熊本などの各大学についても書かれています。
確かにこれらの大学の医学部は歴史と伝統があり、研究力という点でも他の大学をリードしている印象ですが、学閥というほどの力はないかな、といった印象です。
そもそも長崎や熊本、千葉大学は周辺にそれぞれ九大、東大、慶応といったはるかに学閥の強い大学がありますから、自分たちの大学の学閥を形成する余裕なんてないでしょう。
新潟大学に関しては周囲に有力大学がない一方で、教授を送り込めるような私立大学もないですから、あまり学閥を形成しやすい状況とはいえません。
一方で金沢大学、岡山大学に関しては周辺に有力大学がないのに加えて、周辺に私立大学が設置されていますから、小さい学閥を形成する余裕はあるのかもしれません。
特に中国・四国地方は有力大学がない空白エリアですから、周辺に私立大学が立地している事実も背景にして、岡山大学の学閥の力は相対的に強くなっています。
瀬戸内海を超えた四国の有力病院も、岡山大学の関連病院であるという事実もあります。
ですから、学閥の形成には歴史だけなく、その大学が立地している場所、周囲に有力な大学があるか、私立大学があるかということも重要になってきますね。
今では学閥支配も薄れてきている
医学部がどんどん新設されていた数十年前にあっては、医学部の学閥支配というのは顕著にみられました。
新設された医学部にとっては、学生たちを教える教員は当然ほかの大学に求めなければならないですから、必然的に地域の有力大学出身者が教授のポストを占めることになっていました。
しかしながら時代は経過し、何十年も医学部が新設されない中で、新設された大学からも自大学出身の教授が輩出されるようになりました。
したがって、現在では医学部の教授ポストがすべて他大学の出身者で占められている、なんていう医学部は(調べていませんが)ほとんどないでしょう。
特に国公立大学に限っては全くないと言ってもよいと思います。
大学が新設されて時間が経過し、医学部の学閥支配は弱まってきているというのが事実かと思います。
しかし学閥支配は終わらない
一方で、有力大学の医学部の出身者が地方の国立大学、私立大学の医学部教授になるという流れは、間違いなく続くでしょう
と言うのも上記に挙げたような東大・京大をはじめとした有力大学というのは、各教室に多くの医局員を擁し、国からたくさんの研究費を得ています。
ですから基礎研究・臨床研究という点では周辺の大学医学部を圧倒的にリードしています。
優れた研究は有力大学から出てくるわけですから、医師個人の業績を考えてみても、地方国立大学や多くの私立大学よりは、東大や京大、旧帝国大学の医局出身者の方が多くなります。
そして医学部の教授になるためにはまず第一に業績が重要ですから、全国いろんな大学医学部で教授選が行われた場合、どうしても旧帝国大学の医局出身者の方が、教授に選ばれやすいことになります。
このように考えてみると、有力大学の医局が地方の国立大学、私立大学の教授のポストに人材を輩出するということは、必ずしも学閥による結果ではなくて、むしろ実力社会における自然な成り行きと捉える方が了解可能かもしれません
ですから、もし有力大学が他大学の教授になりやすい状況を学閥支配と呼ぶのであれば、今後も「学閥支配」はなくならないでしょうね。
少し古い本ですが、医学部の学閥支配についてやや誇張して、詳細に書かれています。

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