医者として30年以上働いてきて、既に第一線から退いている先生と話をする機会がありました。
その先生の言っていたことで1番心に残っているのは、病気の事はいつまでたっても分からないという深みのある言葉です。
どんなに医学が発達しておも、治らない病気は治らないし、治る病気もある。そして、真面目に暮らしていたとしても、突然病気になってしまうという不条理さです。
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星野仙一さん死去 昨年末に悪化 安らかな表情で…
楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった。6日、楽天が発表した。
楽天の発表によると、星野氏は16年7月に急性膵炎(すいえん)を発症したことをきっかけに膵臓(すいぞう)がんであることが判明。その後、体調に波があったものの仕事に支障を来すことなく過ごしていた。昨年12月に行われた野球殿堂入りを祝うパーティーでは元気な姿を見せていたが、昨年12月末から病状が悪化した。
日刊スポーツ 2018.1.6
元プロ野球選手の・監督の星野仙一さんが亡くなったというニュースが入ってきました。
ニュースによると2016年の1月から膵臓癌で闘病されていたとのことです。
膵臓癌は非常に難しい病気で、病気が見つかったときには、すでに手術は難しいことが多い病気です。
2016年のがん統計では、日本人のがん死亡者数で見ると、男性は4位、女性では3位になっています。
膵臓癌は多くの日本人を死に追いやっている非常に恐ろしい病気であり、進行が非常に早いがんもあるのです。
膵臓癌は進行が早い
ある患者さんは半年ごとにCTの検査をされていたのですが、ある時何気なくCTを撮像したところ、すい臓がんが見つかりました。その時にはすでに手術はできない状態でした。
半年ごとのCTを見直してみたのですが、どうがんばって半年前のCTを見直してみても、やはりそこには明らかな病気はなく、半年間のうちにみるみる大きくなってきたと言うことが予想される結果でした。
この患者さん一例だけでは確定的なことはいえませんが、どんなに頻回に検査していても、画像で見えることには手術できない状態だったんだろうな、と予測される症例なのでした。
人間は誰しも死を迎えることが決定している
医者になって働いていて思うのは、人間は誰しも、突然に死というものに直面せざるを得ないと言うことでしょうか。
私たちが今生きているのは、まさに病気をしていないという偶然から生まれるものである、ということを改めて認識しなければならないでしょう。
ですから、将来や老後のことを考えるのは、病気をしないと言う前提に立って初めて考えられるものであるのでしょう。
幸せな人生を送るためにはどうすればいいか、と言うのは少々哲学的な問いではありますが、私自身の現時点の答えは、今を一生懸命生きることだと思っています。
人間はいつ病気になって死に直面するかわかりません。まずは今を一生懸命生きると言うことが幸せの近道なのかもしれません。
健康はお金よりも大切である
日々の生活に一生懸命でいると、アルバイト先の給料が高かったりとか、当直料が安かったりなんかで一喜一憂するような生活をしています。
しかしながらある瞬間立ち止まってみると、自分の健康とか命よりはお金なんて大して大事じゃない、と気づくことがあります。
お金持ちで恵まれた人が健康に暮らしていたり、一方でお金がなくて困っている人に病気が降りかかったりします。人生は不条理です。
ある50代の男性の例
ある患者さんは働き盛りの50代男性で、一生懸命自分の人生を仕事に捧げてきたにもかかわらず、突然と肺がんと診断されていました。
肺癌と診断されたときにはすでに手遅れで、手術は不可能。
抗がん剤を使いながら健康な時間を少しでも長く過ごすということを目標に治療を開始することになりました。
患者さんはもちろん心の内ではいろいろ思うことがあったようですが、医師である私には本音を明かさなかったように思います。
一方で身の回りにいる看護師さんや周囲の人などの話を総合すると
「自分は一生懸命がんばってきたのに、老後の楽しみもあったのに、がんになって幸せな人生を送れなかったのは残念だ」
といった思いがあったようです。
60代のある患者さん
60代のある患者さんは、末期ガンと言うことで私の外来を受診されました。
お話を聞いていると仕事を定年して第二の人生を歩もうとしていた、まさにその時にがんが見つかって非常に困惑しているということでした。
定年後は奥さんと旅行に行ったり、お孫さんと遊んだり、そのような人生を歩むもうとしているまさにその矢先でした。
60年間真面目に生きてきて、ようやく自由な時間が手に入ったと思ったら、病気になってしまう。
なんてなんとも悲しいというかお気の毒というか、私もうまく言葉をかけることができませんでした。
90歳まで好きに生きる人もいる
そうかと思えば、90歳近くまで好き勝手生きて、ようやく病気になって、それでもまだ長生きしたいとおっしゃって病院に来られる方もいます。
私から見ていると好き勝手生きてきて、それで90歳まで生きたのだから
「もう生きることに未練は無いだろう」
と思ってしまうのですが、人間と言うのは貪欲なものでずっと生きていきたいものらしいのです。
そして幸せなことに、そのような患者さんの病気は、運良く治ってしまうものだったりするのです。
人生は本当にわからないものです。
クリスマスに病院を受診する患者さんもいる
クリスマスに不幸ながら病院にやってきて、大きな病気がみつかる患者さんもいます。
キリスト教の総帥が生まれたこの日くらい病から解放してほしいものですよね。現実そうなっていないということは、宗教にも限界があるということですかね。
クリスマスの日にやってきた患者さんが、色々検査してみたら末期がんだったというのは、いくらでもあります。
その他、クリスマスの日に「来年のクリスマスまで生きているのは難しいかもしれないですね」なんて話をしたこともあります。
80-90歳のおじいさん、おばあさんであれば、年齢のせいだと言って納得してもらえる部分はあるかもしれません。ただ、これが働き盛りの30-40代や、小児であればなんとも悲しいクリスマスです。
その他にも、緊急の病気になって病院に運ばれてくる人が後をたちません。ぜひそのような困った人たちのために力になってほしいものです。
命は平等ではない
日々病院の中で働いていると、命に関しては本当に平等ではないことを痛感させられます。
その患者さんたちから私が学べる事と言うのは、何気ない日常の今を一生懸命そして幸せに生きるということが、人間の最大の幸福なのではないかということです。
たとえ収入が高くてお金をたくさん持っていたとしても、現代の医療では治せない病気がほとんどです。
もちろん病気の治療するには少しばかりのお金は必要ですが、1億円、10億円、100億円消費したとしても健康や命は買えません。
人生は何が起こるかわかりません。交通事故で死ぬかもしれないし、病気になって自分の人生の終わりが目の前に迫ってくるかもしれません。
自分が死ぬときに満足したと思えるような人生を送るため、今日一日を精一杯生きるという事しかないのかと思います。
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