医者の世界で時折話題になるのが、医学部の学閥です。
そして学閥に関連して、医局内での医師の出身大学による区別・差別はよく話題にのぼります。
公に語られることが少ない話題なのですが、言葉の端々にいまだに出身大学が重要性を持っているかもしれない、と思う時があるのです。
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一般社会でも出身大学による学閥・差別はある
さて医学界における学閥と考えると””ちっせぇ世界だなぁ””と思ってしまうのですが、学閥自体はどこの分野にもあることです。
例えば官僚の世界を例に挙げます。
官界で東京大学法学部出身者が官僚の合格者数で実績がある。
官界では東京大学の学閥だけ特別に力があるので東大出身者が有利となり、官僚の出世を左右している。公務員や司法試験の合格者数の統計が良い大学も評価される。
官僚の世界では東大法学部が圧倒的な力を持っているようです。
そして、東京大学出身であるその事実が、出世にも影響してくるようですね。
このように出身大学によって、大学を卒業してからの進路や出世に影響が及ぶのは、医学部に限った話ではありません。
医学部の世界における出身大学による差別の例
では医学の世界において、出身大学による差別はあるんでしょうか?
しばしば挙げられる差別の例は、下記のようなものかと思います。
地方のB国立大学を卒業した医師が、大都市にあるA旧帝国大学医学部の医局に入局します。
しかしながらA大学の卒業生でないために、大学からは遠く離れた病院での勤務を命じられ、なかなか大学病院に勤務させてもらえません。
もちろん最先端の研究にも従事させてもらえず、将棋の歩のように地方病院を転々とせられます。
最終的には地方病院で細々と勤務を続けるか、開業の道を選択することになります。
一方でA大学の医局に入ったA大学の卒業生は、重要な関連病院での勤務を経てA大学病院に戻り、大学院生として研究を行いながら、着実に業績を伸ばしていきます。
ある程度業績を積んだところで教授から留学の誘いを受け、2年間アメリカで留学。
そして帰国後はA大学内部において重要なポストを与えられ、引き続き研究を続けます。
運が良ければ教授職への道も開けます。
このように同じ大学医局に入ったとしても、出身大学・医学部によってその後の人生が変わってくるというのは、珍しいことではありません。
医師における出世や業績は重要な関連病院に勤務させてもらえるか、大学病院で重要な研究をさせてもられるか、そして海外留学させてもらえるか、などといったものに反映されます。
したがって、卒業した大学によってこれらに関して処遇が変わってくる場合があります。
つまり出身大学によって、出世ルートに乗れるかどうかが決定される場合があるのです。
出身大学による差別が本当に存在するのか?
そこできになるのは、21世紀になってまでこのような出身大学による区別、差別があるかどうかです。
こんな差別を公言している大学はないわけですが、正直なところ不明確です。
差別があるかもしれないエピソード
ある某有名大学の関連病院で働いている先生には
「自分の医局の教授は自大学の出身者が好きだから、違う大学を卒業した自分は冷遇された」
とおっしゃる方もいます。
またある知り合いの先生から聞いた話では、医局の人事を考えるにあたって、
「自分の大学の出身者か否かで勤務する病院がかわる」
ということもあるらしいのです。
そのほか、某旧帝国大学では自大学の出身者以外はもはや眼中にもない、つまり入局した時点から相手にされていないというような話も聞きます。
これらの話を総合するに、冷遇されるかもしれない側の意見を総合すると、出身大学による差別が全くなく、被害者意識はあるといえそうです。
ただ本当に出身大学による差別はあるの?
一方で私が医師として働いてきた中で感じるのは、出身大学による差別・区別はあまりなさそうです。
私の先輩・後輩でも、所属している医局のある大学出身でないにも関わらず、重要な研究を任されている医師は数多くいます。
同級生の中にも、出身大学とは異なる大学の医局に所属し、ステップアップして素晴らしい業績を残し海外留学までしている医師もいます。
もちろん医師の経歴をぼんやり眺めていると、地方大学医学部卒業でありながら、東大・京大・慶應大学の医学部の医局に入り、その後別大学の教授になっている医師はゼロではありません。
何かしらの傾向は少なからず存在するかもしれませんが、差別が強すぎて出世できないなんてことはなさそうです。
単純に能力が異なる現実も考える必要がある
このような出身大学による差別は、いろんな背景を考慮しなければなりません。
そもそも出身大学による外様差別が多いとされる、東大や京大、慶應大学においては、自大学の出身者は極めて優秀です。
入学時の偏差値的にはこれらの3大学は圧倒的に突き抜けていますから、これらの医学部出身者は少なくともペーパーテストの点では極めて優秀です。
異なる大学からこれら大学に入局した医師は、内部の優秀な人間と競わなければならないわけですが、どちらからというと負ける確率の方が高いでしょう。
他大学出身者が優秀な大学の出身者に勝つためには、彼ら以上に独創性とハードワークを発揮する必要があるのです。
ゆえにそもそも能力が高い自大学出身者がどんどん出世するために、他大学出身者が冷遇されているように感じているだけかもしれません。
教授の母校が異なる場合
一方で差別の可能性がグッと減る可能性はあります。
たとえばA大学出身の医師がB大学の教授になる場合も、そのB大学医局については出身大学による差別はなさそうです。
B大学で勤務しているA大学出身の教授にとっては、B大学を卒業した医師であるかどうかはほとんど関心がないでしょう。
むしろ出身大学で医師をみることは、自分自身にも跳ね返ってくることです。
したがってこの場合は純粋に医局員の研究能力や医局への忠誠心で個人としての評価が決定されることが多く、完全な実力主義に近いところがあるでしょうか。
現実にはほとんどの大学では差別している余裕なんてないと思われる
むかしむかしは、出身大学によってキャリアルートが異なるはなしもあったそうです。
ベテラン医師が書いているキャリアのはなしのなかには、そのような記述が散見されます。
しかし今やほとんどの大学では医局の力も相対的に低下傾向にあり、人を集めるので精一杯です。
大都市圏のごく一部の大学病院を除いては、研修医に来て欲しいからと色々な手でリクルートを進めているのが実情です。
したがって研修医が潤沢に集まる極一部の大学医局、具体的には東京大学、京都大学、慶應大学などをのぞいては、出身大学による差別をしている余裕なんてないでしょう。
ほとんどのすべての大学では、出身大学に関係なく人材を集め関連病院に勤務させたり、研究させたりするので精一杯ではないでしょうか。
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