今の医療ってすごく高度化しています。医者でもそう思います。
毎年のように各分野から新しい薬が発売されますし、日々の忙しい仕事に追われている限りは、他の専門分野の内容まで追いついていく暇がありません。
医療が高度化するに従って、医師ひとりでできる医療の範囲はどんどん狭まってきています。
ここでは、医療の高度化が今の病院や医療にもたらしたものについて書いてみたいと思います。
責任を持って診察できる範囲が狭くなる
現在行われている医療は、非常に高度に発達しています。
病気や疾患が細く分類されるに従って、ある分野の最先端の医療を提供しようと考えるのなら、一人の医師がそれらの全てをカバーするのは難しくなってきています。
大学病院などでは、ある診療科に属しているにもかかわらず、ひとつの病気しかみない、というような風潮が生まれて来ているわけです。
たとえば一般病院では一括りにされている消化器内科といっても、大腸の専門家と肝臓の専門家では医者が違ったりするわけです。
もはや医療の発展を考慮すると、大腸の病気と肝臓の病気を第一線レベルで診療するのが難しいのが現状です。
もちろん特定の病気しか診察しないと言うのは、その病気の治療法や診断方法を発展させるには非常に大切なことです。
それに大学病院というのは研究を主体にして医療の発展を担う診療科なわけですから、専門家を養成するという意味では、これはこれで合理的と言えるのです。
ただしそれ以外の領域の疾患となると、とたんに疎くなってしまうというリスクもあるわけです。
専門的な医療しか提供しない傾向がある
これだけ各分野が高度に専門分化していますから、おいそれと専門外の分野には手出しできません。
したがって専門外の病気や疾患に関しては、責任を持った治療ができないと判断されて、他の診療科に紹介される場合がよくあります。
糖尿病の薬が1種類の時代には、外科医も内科医も少し勉強すれば、どのように対処すれば良いかは容易に学ぶことができました。
しかし糖尿病の薬が何十種類にも増えてくると、専門外の医師だけでは対応できなくなってきている現実があります。
こうなってしまうと、なんとなく処方できる内科医であったとしても、糖尿病内科医にコンサルトしなければならないのです。
最高水準の医療が求められる風潮
このような医療の高度化を背景として、すべての疾患や病気で、最高レベルの医療が求められるようになっています。
例えば地方病院と都会にある大学病院では、医療の設備や医者の数、看護師等のスタッフの数が大きく違います。
医療は高度化し大学病院ではさらに高度な医療が行われるに従って、ある病気や疾患に対する標準治療は、どんどん高度化していきます。
一方でヒト・カネ・モノが限られた地方病院では、都会の大学病院と同様の水準の診療行っていくのは困難です。
そのような背景があるにもかかわらず、地方病院であっても、難しい病気が適切に診断・治療されなかったという理由で、容易に裁判に発展してしまう傾向がみられます。
都市と地方の医療格差
このような医療の高度化は、都市と地方の医療格差をより大きくしています。
本来は日本全国すべての病院に置いて、同様の水準の医療が行われるべきなのですが、今の時代はそれも難しくなっています。
最先端の医療機器や設備が必要とされる治療の場合には、やはり都市部の大規模病院でないと治療を行うのが難しくなります。
日本全国どこの都市でも、一流のアーティストによるライブを行うのが難しいのと同様に、一流の医療を提供するのは最初から不可能なのです。
都市と地方の医療格差について、限られた医療資源を用いてどのように少なくしていくか、またこのような医療格差に関してどのように理解を得ていくとかということが求められいてるような気がします。
リスク回避の医療の風潮へ
これだけ医療が高度化してくると、現場の医者はどんどんリスク回避を行うようになります。
例えば少しでもリスクのある治療法を行うことを試みれば、治療がうまくいかなかったり、思いもよらぬ副作用が出現したりすることにより、訴訟のリスクを抱えてしまいます。
そのようなリスクのある環境では、自分の専門外の疾患などに手を出しては大変ですから、責任を持って提供できる医療の分野は、自分の専門分野だけになってきます。
ですから今の医療では、医師と患者の間に相当な信頼関係がない限りは、積極的な治療を行わない風潮が出てきていると思います。
以前は患者さんの「お任せします」で住んでいた医師と患者の関係が、医師の治療に関して厳しく評価される時代になったと言っても過言ではないでしょう。
まとめ
医療の高度化、専門分化に伴って、医者や患者の考え方も大きく変わって来ました。
全体的には医療者にとって働きにくい状況に変わりつつありますが、時代の流れとしてなんとか乗り越えていきたいものです。。
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