大学病院やアカデミック総合病院で勤務している場合には、論文を書くとことが業務の1つになっていきます。
これらの病院では日常臨床はもちろんのこと、研究成果を発表し科学研究費を国から獲得することによって、初めて評価される病院なのです。
40代くらいになってくると、研究成果のない医師は不要とのことで、ポストがなくなる現実もありますね。
とはいっても、論文を書くことって意味あるのでしょうか?
大学病院で働き続けるためには、論文を書くことが必要
大学病院で勤務し続けるためには、論文をたくさん書いて、国から研究費を獲得しなければなりません。
いわゆる国からもらう科研費ですが、この資金を獲得して研究を進め、その成果を発表するというのが、あるべき大学病院の医師と考えられています。
地方大学の弱小医局であれば、人材不足と言う点から、たいした研究をせず論文を書かずに好きなことをしていても大学病院で勤務し続けることができるかもしれません。
ただメジャー大学の主要診療科の医局になってくると、専門医を取得した10年目クラスの医者たちは、ほとんど臨床を行わずに、研究に没頭ということもあるようです。
友人から聞いた話によると、某大学の某医局では、10年目以上の医者はもっぱら研究で、臨床業務をしているのは専門医取得前後の医師ばかり、という話も聞きました。
別の大学のある診療科でも、臨床を行うのは大抵10年目以下の先生で、10年目以上の先生は臨床研究や基礎研究に精を出しているとの事でした。
確かに能力のある先生こそが研究に従事して業績を上げる、そして患者を診察する業務は若手医師が担当することが、大学病院では正しい働きなど働き方なのかもしれませんね。
論文を書くことの辛さ
私も論文を書いたことがありますが、自分の書いた論文がアクセプトされ、他の論文に引用されていると言うのは、非常に栄誉なことです。
一方で、論文を書くのは非常に労力がいります。
論文を書くだけならそうそう時間はかからないかもしれませんが、研究計画を立案し、研究を行い、解析して研究データを揃えて、となると膨大な時間が必要です。
もちろん外来中にそんなことできないですから、忙しい臨床の時間を削りながら、時には夜間休日も仕事をしながら、研究データを揃えていくことになるわけです。
基礎研究なら土曜も日曜も年末年始も、マウスの世話をしなければならないかもしれませんね。勤務形態としてはブラック企業以上になるでしょう。
もちろん大学病院で勤務しながら、論文をたくさん書いて教授を目指すというのも1つの人生かもしれません。
ただもう少し視野を広げて考えてみると、論文を書くのはもはや無償労働でしかありません。
論文を書くことによる給料UPの効果は少ない
論文をたくさん書いたとしても、アカデミックなポストに残れるのはごく一部の医者だけです。
その一部の医者であっても、日本の医療制度の下で働く限りにおいては、アメリカンドリームの様に決してたくさんの給料がもらえるわけではありません。
大学病院で教授の肩書きを持っていたとしても、いろんな収入を併せても年収2000万円には到達しないでしょう。
医者の中で学術的に最も成功した人間が2000万円・・・・かなり少ないですよね・・・。
研究をして論文を書いて得られる恩恵に預かったとしても、せいぜい2000万円くらいが現状なわけです。
費用対効果の面から考えると割りに合わない
そして現実はもっとシビアです。
ほとんどの医師は論文を書いたところで大学病院などでの昇進は望めず、一般病院で勤務をしたりクリニックを開業することになります。
一般病院やクリニックでは、論文をどれだけ書いているかが給料に影響することはまずありません。全く関係ないのです。
したがって良質な論文をたくさん書くために、研究に没頭して論文を執筆するのであれば、その時間を別の時間に費やした方が効率的です。
例えば自らの病院経営の時間に費やすとか、不動産投資の時間に費やすな事したほうが、費用対効果は圧倒的に高いでしょうね。
大学病院の中にいると、論文を書いて業績を上げることだけが唯一の価値観と考えてしまいがちなのですが、幸せな人生を考えると、それは必ずしも正しくないのかもしれません。
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