若手医師のあいだは、いろんなところから色々な風に叱責されるのが当たり前です。
病院の中で検査や治療を指導してくれる、いわゆる指導医の中には、怒りっぽい人もいて、少し間違ったことをしているだけなのに、厳しく言われてしまうこともあります。
患者さんの中にも医者に対して理不尽に立腹される方がいます。
客観的に考えて極めて正しい医療を提供していたとしても、わずかな言葉遣いの乱れとか、結果が伴わない医療を行うことによって、病院の中で激昂されてしまうこともしばしばあります。
このような病院の中での怒りに対しては、真正面から受け止めずに、スルーすることが必要ですよ、という話です。
怒りは大きなストレスになる
周囲の人々の怒りというものを真面目に考えてしまっていては、精神的にすごくストレスになってしまいます。
私だって数多くの怒りを受け止めてきましたが、良い思いはしませんね。
自分が90%くらい正しいと思っていても、患者から罵声を浴びせられると、1日の間気分が滅入ります。
さらに同業者から嫌味を言われたりすると、「自分が悪いかなぁ」と思ってしまうのです。
真面目な先生に多いのですが、自らに対する叱責を深く考えてしまい、精神的に不安定になってしまう例はよくあります。
誰かに怒られて幸福を感じる人間は皆無で、ストレスを感じる人が大多数でしょう。
怒りを受け止めてドロップアウトしてしまう医師は多い
このような他社の怒りを全身で受け止めることによって、職場を一時的に休職したり、医局を辞めてしまったりする医者は少なくありません。
特に研修医の先生でドロップアウトしてしまうパターンは、怒られて、人間関係に思い悩んでが多いかと思います。
第三者でみていると「そんなことで怒んなよ、クソ指導医」と思うのですが、怒られた本人にはダメージです。
研修医期間を延長するだけなら長期的なダメージはないんですが、精神的なダメージが蓄積すると大変です。
医者を辞めてしまったり、専門分野を辞めてしまう場合がありますから、十分にケアする必要があるのです。
このような研修医へのメンタルケアはすごく大切で、最近ではどこの研修病院でも注目され始めています。
どうして真正面から怒りを受け止めてしまうのか
医者として10年とか15年ぐらい働いていると、そもそも誰かに怒られると言う事はあまりないですね。
病院の中での立場も中堅からベテランになりますし、病院の中ではルーチンワークのように医療を行うことができますから、明らかな失敗の経験も少なくなってきます。
怒りっぽい患者への対応なんかも、慣れてくるわけであり、患者とのトラブルも少なくなるといって良いでしょう。
一方でまだ研修医だったり若手の先生だったりする場合には、自分の行動が正しいのか迷う場合もあるでしょう。
指導医から理不尽な叱責を受けていたり、患者さんから理不尽な怒りをぶつけられたとしても、自らへの愛の鞭とか、自分が悪いんだ、と解釈してしまって、どうにかそれを解決しようとしてしまうわけです。
客観的に見ていると、これは怒っている医者や患者の方が間違っているなぁと思うこと多々あります。
これらの怒りを受け流している研修医の方が、ストレスなく病院で勤務できていることも多いのが事実かと思います。
そのような怒りを受け流すのがうまい医師の方が、第一線で長く医者生活を続けられる傾向にあるように思います。
真面目さと、多少のことを無視するバランスが重要
ある先生がおっしゃっていたのですが、
「医者を長く続けるためには、もちろん真面目な性格というのは大切だが、一方で周囲の怒りを受け流す力も必要である」
と言うことをおっしゃっていました。
確かに、教授の理不尽な要求を受け流し、患者の怒りに対してはむしろ患者がおかしい、と決めつけ、先輩医師の指導を一部無視するくらいの我が道を行く医師の方が、長く医者生活を続けているように思います。
すべての怒りを真正面から受け止めていては、精神的に疲弊してしまい、途中でドロップアウトしてしまう可能性があると言うことでしょうか。
最近よく言われる、鈍感力という力こそが、医者にとっても長く続けるためには必要なのかもしれません。
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