また週刊誌がわけのわからない記事を載せていますね。今度は終末医療に関する記事です。
週刊誌が医療のスタンダードに反抗するような医療系の記事を積極的に出すのは、それらの記事の反応が良いからなのでしょうか?
終末期医療に関する週刊現代の記事
曽野綾子さんの夫である三浦朱門さん(享年91)の容体が急変したのは2017年1月26日の夕方。朱門さんが入所していた老人ホームから曽野さんに電話があった。
担当医だった小林徳行医師から「血中酸素の量が極端に減少していて、このまま放置していると危ない」と。そのまま小林医師の判断で、救急車を呼び朱門さんは病院へと緊急搬送された。
ERに運ばれた朱門さんは、酸素吸入を受けることに。その間に曽野さんは4~5人の呼吸器内科の医師たちから「(朱門さんは)間質性肺炎を患っていて、良好な予後はとても望めない」と知らされたという。
病院内で曽野さんと再会した朱門さんは、喉の渇きを切実に訴えていた。おそらく酸素を大量に吸引したため、口の中が乾いてしまったのだろう。そこで曽野さんが水を飲ませようとしたが、ここで医師から「ストップ」がかかったのである。
その時の心境を曽野さんはこう綴っている。
〈原爆で皮膚がボロのように焼けて垂れ下がった人でも、戦地で重傷を負った負傷兵でも、求めたのはたった一つ「水」だったと聞いている。朱門がかなり重症だとすれば、今何よりも欲しがっている水を飲ませるのが看取りの基本の姿ではないのか〉
患者の「最期の願い」と医師の見解、どちらを優先すべきなのか――。
終末期医療がテーマ
さて週刊現代のこの記事では、終末期医療をテーマにしているようです。
記事の冒頭では、上記のような文章があります。
基本的には救急搬送されたような患者は、事前に延命処置を行わない同意が取れていない限りは、最善を尽くすことが求められます。
最善を尽くすとは心臓マッサージをしたり、気管内挿管をしたりといったいわゆる蘇生処置・救急医療を行うことです。
医療上の正しい判断とは
記事には限られた情報しかありませんので、医療上の判断について詳細なコメント付すことは難しいでしょう。
ただし記事にかかれてある事実だけを抜き出すならば、見舞客である女性が患者に対して勝手に水を飲ませようとしたことが伺えます。
患者の希望だからあれもこれもやっても良いと考えるのは、少々無理があるように思います。
食事を禁止されている患者に、空腹だからといって見舞客が食べ物を渡して良いわけがありません。
死んで行く人間が水を欲しがっているのに、水をあげないなんて何事だ、けしからん!という主張は、あまりにも短絡的です。
何事もあくまで医療上の判断の上に許容されてから行われるべきものです。
訴訟のリスク
このように救急車で運ばれて本人、家族、医療者の意思の統一が得られていない現状では、判断は慎重でなければなりません。
例えば患者に水を飲ませたところでもし気管の中や肺の中に入り、肺炎をいっそう悪くしてしまい、それが死亡につながってしまったと仮定します。
下手になんでも許可してしまうと、どこからともなく親戚が湧いてきて「お前たちを訴える」と言う話にもなりかねません。
そのような背景を考慮せずに、患者が水を希望しているがから水を飲ませてくれと言うのは、ばかばかしい議論です。
どうして週刊誌は医療を批判してしまうのか
このような医療者側からして、相手にもされないような記事を週刊誌が乱発してしまう事実を、週刊誌がバカだから、と片付けてしまうにはやや無理があります。
潜在的には週刊誌を購読する一般の市民の中に、病院や医療に対する不信・不安や、想像する穏やかな医療と現実に乖離があることが原因なのでしょう。
寝たきりのまま何年も生き続ける身内や、満腹になりそうなほどの薬を飲み続けながら症状がよくならない高齢者などをみていると、果たして誰のための医療なのか考えざるを得ません。
そのような市民感覚と、医療関係者の中の感覚のギャップを埋めていくことが求められているのかもしれません。
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