高校時代にはいろんな人がいますよね。
道を間違って中退してしまう輩もいれば、あり得ないほどに勉強のできる同級生もいるのです。
彼ら、彼女たちはどういう人間であるか、そして彼らの進路はどのようなものであったか、考察してみたいと思います。
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ありえなく勉強のできる人の特徴
インプットの効率がおそろしく高い
高校時代にも、そして医学部に入学してからも感じていたことなのですが、人間の中には、教科書をいちど読んだだけですべてのことが理解できてしまう、凡人には理解しがたい才能を持った人間がいます。
高校時代では、普段は部活動で忙しくしており、おそらく勉強するまとまった時間が取れていないにもかかわらず、常に素晴らしい成績をとり続けている同級生がいました。
彼らは塾通いをしているわけでもないですし、学校の授業をすごく集中してきているわけではないんです。
それでも成績が良すぎるのですから驚きです。
こっちなんて必死に必死に勉強しているにも関わらず、成績では絶対に彼らに勝つことができないんです。
高校生ながらに、努力しても人間には限界があるということを思い知らされた一つでの出来事かもしれないですね。
彼らは勉強の効率が良い、というだけでは説明できないほどに、知識の吸収とその応用ということに関して優れている印象でした。
ですから「努力すれば夢は叶う」とか「努力すれば成功できる」なんてのは、競争相手がいる世界では嘘っぱちです。
人間性が素晴らしい
そして興味深かったのは、勉強ができる彼らは人間性も素晴らしいのです。
勉強ができる事は当然として、そのことを鼻にかけて自慢することもありませんし、むしろ謙遜しながら生活しているようでした。
またクラスメイトの悪口を言うこともないですし、自分の主張を強く発言することもありません。
クラス内でもリーダシップを発揮して、困ったことがあれば率先してその問題を解決しようと動き出します。
とにかくできた人間なのです。
そんな彼らを見ていて感じたのは、勉強や成績と同様に、あーこの人たちに追いつくのは絶対に無理だなぁと言うことです。
医学部受験で彼らとどのように渡り合うか
少なくとも受験に関しては、学力において彼らには及びません。
筆記試験では間違いなく彼らに勝てないでしょうし、面接においても高校時代全体の評価になれば彼らを押しのけてまでの勝ち目はありません。
高校時代にすごく勉強のできる人間がある大学に100人受験してこようものなら、奇跡が起こらない限りその大学の医学部には合格できないでしょう。
そのようなレベルの高い大学は、東京大学や京都大学であったりしますね。
また地方国立大学の場合には、合格ラインを十分に超えた地元の高校生が医学部受験してきますので、こちらも合格が約束された学生が受験してくることになります。
椅子取りゲームに例えるならば、すでに誰かが椅子に座っている状態なのです。
ですから医学部受験は、まだ合格の決まっていない残されたイスをめぐって争うゲームなんだと思うわけです。
すごく勉強のできた高校生たちの進路
さて私の高校時代に出会った、驚くほど勉強のできた学生たちの進路について考えてみます。
一応私は理系のコースに在籍していましたので、理系の高校生たちの進路です。
東大に進学したA君
彼は学年で常にトップの成績を取り続け、現役で東大に進学しました。最終的には理学部を選択し、大学院まで進んで研究していたようです。
疎遠になってしまったのでお互いに話す機会もほとんどありませんが、pubmedで検索する限りはあまりめぼしい論文はヒットしてきません。
私も医者の端くれですから、アカデミックな世界での業績についてはそれなりに分かるのですが、業績的には彼が大学で出世していくのは難しそうです。
もしかしたら今は一般企業に就職しているのかもしれません。
高校時代に一番勉強できた彼でさえ、アカデミックな世界での出世は難しいようですね。
東大に進学したB君
B君も同様に現役で東大に合格、工学部を選択しています。すごく勉強のできる人間は、医学部ではなくて一般学部を選択するのでしょうか。
さて彼も高校時代は恐ろしく勉強ができたのですが、最終的には一般企業に就職していました。
アカデミックな世界に興味がなかったのかどうかわかりませんが、プログラミングなどをやっているようですね。
30代そこそこだと人生の結果を考えるのはまだ早い?
もちろんアカデミックな世界で出世して教授になるだけが人生のゴールではないですし、人生の出世で考えるといろんな進路があるでしょう。
30代は長い人生のスパンで考えればまだスタートして間もない段階でしょうから、人生の成功・失敗、あまり成功していないと考えるにはちょっと時期尚早なのかもしれませんね。
ただ一つ確かなのは、アカデミックな世界で成功するのは結構難しそうです。
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