【医師の視点】医学部における学閥支配の概要。各医学部が有する勢力範囲とは?

医学部には学閥というものがあります、あるらしいです。

普段いち病院の臨床医として働いているそんなものは微塵も感じないのですが、格付けが好きな人はいますからね。

その辺りを中心に見ていきましょう。

学閥とは有力大学による弱小大学の支配である

学閥には、組織の長の出身学校によって規定される場合や、長年の慣例から強化・維持されている場合などがある。

学閥に係わるのは、必ずしも伝統校や学力上位校に限らず、ある地域や職種において影響力が強い学校であることもある。

学閥の勢力が強まり、周囲への支配色を持つまでになると「学閥支配」といった言い方がされることもある。学閥を構成しているのは主に名門大学(大学院)だが、地方を中心に名門高校出身者の学閥がある。

wikipedia

これは学閥の一般的な記述です。

つまりは学閥とは各医学部の勢力範囲、といったところでしょうか。

医学部での例を挙げてみると下記のような感じになるかと思います。

隣り合うA大学とB大学があったとして、あまりにもA大学の方が臨床・研究・人員共にB大学を上回っている場合、B大学の人事はA大学の影響を受けることになります。

たとえばB大学の教授はほとんどがA大学の出身者で占められ、さらに次期B大学の教授を決定する際にも、A大学出身者を教授にしようとして、いろんな力が働く可能性があります。

また、A大学、B大学の地域の大きな病院の診療科はA大学医局が支配し、B大学医局は地方の小さな病院しか関連病院がない、といったこともよくあります。

ここで例に出しているA大学とB大学は、いくらでも読み替えることができます。

東京大学と首都圏の私立大学、名古屋大学と愛知県の私立大学、京都大学と関西の私立大学・・・・といった具合です。

このような学閥は、どのようにして規定されいてるのでしょうか。

医学部における学閥の実態

次に医学部における学閥の決定要因について考えます。

AERA.dotからの記事の引用です。

最も古い歴史があるのは、旧帝国大学7大学だ。医学部の設立は、1877年の東京大学を皮切りに、京都、九州、東北、北海道、大阪、名古屋と続いた。

(略)

医専をルーツとし、旧帝大に次ぐ伝統を誇るのが旧制医科大学のグループだ。

「旧六医大(旧六)」と呼ばれる千葉、新潟、金沢、岡山、長崎、熊本の各国立大学に、公立の京都府立医科大学を加えた7校がある。いずれも1921年前後に医科大学に昇格。当初は教授の多くが旧帝大出身者で占められたが、次第に自校出身者が増え、他大学にも教授を送り出すようになった。

AERA.dot 2016.10.2

上の記事にもあるように、学閥の頂点にあるのは間違いないく東大・京大をはじめとして旧帝国大学です

その後には私立大学医学部の一番手である慶應大学、そして九州大学、名古屋大学などの地方旧帝国大学が続きます。

なんといって旧帝国大学が学閥のトップ

旧帝国大学は、基本的にはその地域にある医学部の親分であり、その地域にある医学部に教授を送り込んだりしています。

したがって、これを図にすると以下のような感じになります

 

ちょうど色のついた日本の各地を、旧帝国大学が支配しているような図です。

首都圏の大学は基本的には東大・慶応を中心として学閥が形成されており、あまり研究などが盛んでない私立大学の医学部教授ポストなどは、東大や慶応の医局出身者が就任することが多々あります。

関西圏では、特に京都大学を中心として学閥が形成されており、関西の私立大学や周辺の国公立大学の医学部教授ポストは、主として京大や阪大の医局出身者によって占められることになります。

そのほか九州大学や東北大学は周囲に有力大学がないですから、九州は九州大学、東北は東北大学が比較的強い学閥を形成している印象です。

時折みられるのは、東大の医局出身者が首都圏の大学の医学部教授になり、東大の教授ポストが空席になった時点で教授選に出馬、見事当選し東大の教授に就任するものです。

この場合、首都圏の大学にとってみれば、自分の大学医学部の教授ポストが東大教授になるまでの腰掛けにされたわけですから、こればかりは学閥支配と言われてもしかたない一面もあります。

これは東大に限った話ではなくて、いろいろな地域の旧帝国大学で聞く話です。

次点で旧制医科大学グループ

AERAの記事の中では、千葉、新潟、金沢、岡山、長崎、熊本などの各大学についても書かれています。

これらの大学は旧制医科大学、旧六医大としては歴史と伝統を誇っており、研究力という点でも他の大学をリードしている印象です。

ただし、これらの大学の中でも大きな差はあります。

例えば千葉大学医学部・腎臓内科のサイトの関連病院紹介には、下記のような記載があります。

関連病院は複数ありますが、主として千葉県内にあるようです。学閥が強いと言われている旧制医科大学ですら、県内に関連病院を持つのが精一杯の状況なのです。

これはおそらく、東京都内に東大や慶応といった学閥の非常に強い医学部があるがゆえ、千葉県の外まで関連病院を持つことができない事実を示しているのでしょう。

この事実だけをみると、千葉大学も地方大学のひとつに過ぎないのが正直な印象です。

同様に長崎大学や熊本大学も九州大学という学閥の非常に強い大学がありますから、関連病院があるのはせいぜい自分の県くらいなもので、学閥の広がりといっても限界があります。

京都府立医大などはその傾向が顕著で、周囲に京都大学、大阪大学がありますから歴史はあるといっても勢力圏の形成には限界があります。

また新潟大学に関しては周囲に有力大学がなく新潟県内では安泰といったところですが、周囲には教授を送り込めるような私立大学もないですから、あまり学閥を形成しやすい状況とはいえません。

これらの大学とは少し状況が異なるのが、金沢大学や岡山大学です。

金沢大学、岡山大学に関しては周辺に有力大学がないのに加えて、周辺に私立大学が設置されています。

したがって地方の勢力圏だけを考えると、小さい学閥を形成する余裕はあるのかもしれません。

特に岡山大学のある中国・四国地方は有力大学がない空白エリアですから、周辺に私立大学が立地している事実も背景にして、岡山大学の学閥の力は相対的に強くなっています。

例えば瀬戸内海に面した香川県の有力病院も、岡山大学の関連病院であったりします。

こちらは同様に岡山大学・腎臓内科(正確には内分泌代謝内科)の関連病院リストですが、岡山県内に加えて県外にも多くの関連病院を有しています。

パッと見でも広島、兵庫、香川、愛媛、高知にまで関連病院がありますから、岡山大学の医学部としての学閥・関連病院が岡山県内にはとどまっていないことを如実に示しています。

もちろん先の千葉大学が腎臓内科だけの関連病院である一方、岡山大学の場合には内分泌代謝なども含まれており、そもそもの医局のカバーする領域が異なっていることには注意が必要です。

いずれにしても旧制医科大学だからといって学閥が強いというわけではなく、勢力圏の形成にはその大学が立地している場所、周囲に有力な大学があるか、私立大学医学部があるかということも重要になってきますね。

その他の国公立大学は横並び

このほかの大学となってくると、ほとんど横並びの状況です。

地方国立大学医学部、いわゆる駅弁大学ですが、これらは基本的に自らの都道府県内の病院を関連病院としています。

また周囲には私立大学医学部もありませんから、教授を送り込むとか輩出するといったことも頻繁にはなく、ときおり有力大学から教授が赴任してくる程度です。

これらの大学は新臨床研修制度が始まってからは、地方から都市部に医師が流出する大きな流れの中で大学病院に医師を集めることですら大変な状況であり、苦しい状況に置かれている場合が少なくありません。

その他の私立大学医学部

慶應大学や慈恵医大、日本医大などの有力私立大学以外の医学部では、歴史的にも浅いがゆえその学閥はさらに弱くなっています。

そもそも私立大学医学部のほとんどは首都圏や関西圏に立地しており、すぐ近くには学閥の強い有力大学がひしめき合っています。

また私立大学医学部の学生は、開業医の御子息が多いですから、研究の世界に身を投じるというよりは、医師としての経験を積んでご両親の病院やクリニックを継承するというのが一定の割合を占めています。

つまり私立大学医学部の重要な任務は世界的な研究をすることというよりは、医学生を無事に国家試験に合格させることになるのです。

したがってこれらの私立大学医学部は、大学周囲に関連病院の数が少なかったり、他大学に教授を輩出できるほどの力もありません。

私立大学の場合には、国公立大学の場合に比べて周囲の有力大学から教授が赴任してくる傾向がさらに強いといえるでしょうか。

今では学閥支配も薄れてきている

医学部がどんどん新設されていた数十年前にあっては、医学部の学閥支配というのは顕著にみられました。

新設された医学部にとっては、学生たちを教える教員は当然ほかの大学に求めなければならないですから、必然的に地域の有力大学出身者が教授のポストを占めることになっていました。

しかしながら時代は経過し、何十年も医学部が新設されない中で、新設された大学からも自大学出身の教授が輩出されるようになりました。

したがって現在では、医学部の教授ポストがすべて他大学の出身者で占められている、なんていう医学部は(調べていませんが)ほとんどない(首都圏のごく一部の私立大学を除いては)でしょう。

特に国公立大学に限っては、全くないと言ってもよいと思います。地方国立大学であっても、自らの医学部出身者が教授を務めている場合が多くみられます。

医学部が新設されて時間が経過し、全体的に医学部の学閥支配は弱まってきているというのが事実かと思います。

しかし学閥支配は終わらない

一方で有力大学の医学部の出身者が地方の国立大学、私立大学の医学部教授になるという流れは、間違いなく続くでしょう

というのも上記に挙げたような東大・京大をはじめとした有力大学というのは、各教室に多くの医局員を擁し、国からたくさんの研究費を得ています。

ですから基礎研究・臨床研究という点では周辺の大学医学部を圧倒的にリードしています。

優れた研究は必然的に人的資本でも金銭的資本でも勝る有力大学から出てくるわけですから、医師個人の業績を考えてみても、地方国立大学や多くの私立大学よりは、東大や京大、旧帝国大学の医局出身者の方が多くなります。

【医師の視点】学閥が強い大学は研究力も高い。出世をするなら学閥の強い大学が有利である

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そして医学部の教授になるためにはまず第一に業績が重要ですから、全国いろんな大学医学部で教授選が行われた場合、どうしても旧帝国大学の医局出身者の方が、教授に選ばれやすいことになります。

これは医学部の世界に限ったことではなく、資本の大きいイオンやセブンアンドアイの方が商品を安売りでき、中小スーパーはコスト削減にも限界があるのと全く同じ構造です。

このように考えてみると、有力大学の医局が地方の国立大学、私立大学の教授のポストに人材を輩出するということは、必ずしも学閥による結果ではなくて、むしろ実力社会における自然な成り行きと捉える方が了解可能かもしれません

ですから、もし有力大学が他大学の教授になりやすい状況を学閥支配と呼ぶのであれば、今後も「学閥支配」はなくならないでしょうね。

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3 件のコメント

  • 岡山大学は福山市を中心に広島県にも関連病院を沢山持ちます。最近は押されぎみではあるとは云え広島市の市立広島病院や逓信病院も岡山大学医局の派遣の医師が多いです。中国四国地方には旧帝大が無いので岡山大学がその様な役割を果たしています。
    旧六では偏差値は千葉大ですが学閥というか地域での影響力では岡山大学が圧倒的に一番で次点で金沢大学ですね。惜しむらくは北陸最大の都市新潟には新潟大学があることでしょう。

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